タカミネの歩み -創業・躍進
エレ・アコの先駆者として創業から躍進
岐阜県坂下町へ移転
タカミネの歴史は、1959年に創業者が岐阜県坂下町(現中津川市坂下)でアコースティック楽器の工房を開いたことに始まります。
工房の名称は、有限会社・大曽根楽器製作所。もともと、創業者は名古屋で弦楽器製作の修行をしていました。この年、東海地方には伊勢湾台風が襲来し、被災者となってしまった彼が、妻の実家がある岐阜県坂下町に移住して立ち上げたのが、この大曽根楽器でした。
'50年代から'60年代の中盤にかけて、日本の歌謡界は演歌が主流の時代。いわゆる "古賀メロディー"の全盛期で、大曽根楽器でもガットギター(クラシックギター)を多く生産していました。
高峰楽器製作所に社名変更
'62年、大曽根楽器は高峰楽器に社名変更し、さらにその3年後には、有限会社から株式会社へと移行しました。ギターの輸出も始まり、タカミネは徐々にギター専門のメーカーとなっていきました。
先にもお話しした通り、創業者は伊勢湾台風で被災し、やむなく名古屋という都会を離れ、坂下で弦楽器の工房を起こした訳です。しかし坂下は土地柄、木工業が盛んなところです。いわゆる木工業者が多数あったお陰で、ギター作りの職人探しに困ることはありませんでした。こうして、坂下という地に根を張った、ギターメーカー・タカミネの骨組みが少しずつ形づくられていきました。
とはいえ当時、ギターはまだ他社のOEM生産にとどまっていました。自社ブランドの立ち上げに至るまでには、まだ暫くの時間が必要でした。
自社ブランド「Takamine」
'70年代半ば、社長に故平出益郎氏が就任。彼は、自社ブランド「Takamine」を立ち上げ、それと前後してアメリカで楽器販売を主とするカマーンミュージック社と提携。海外向けに、ギターの輸出を本格化しました。
エレ・アコの開発に着手
'70年代後半、ギタリストはコンサートの大規模化に伴い、アコースティックのサウンドを、PAからいかに美しく・大きく出力するかに腐心していました。単純にアコースティックギターにマイクを取り付けることに始まり、その後、マグネティック・ピックアップやコンタクト・ピックアップなどが登場しましたが、アーティストを満足させるクオリティとは言い難いものでした。
タカミネが、本格的にエレ・アコの開発に着手したのが'78年。技術者は、それまでのアコースティックギターの制約に縛られることなく、自由な発想で、理想の音を追求し、開発課程では、次々と新しい技術が開発されました。タカミネの技術的代名詞である「パラスティック・ピックアップ」も、その一つです。
表板の一部をカットし、ピックアップを吊り下げることで、振動の伝達をそこでカット。これにより、各弦の干渉によって生じるクロス・トークを減らし、ピックアップをブリッジと一体化することでハウリングを防止するこの技術は、当時としてはきわめて画期的なものでした。
海外の名だたるアーティストが
'78年、パラスティック・ピックアップを搭載した記念すべきエレ・アコの第1号が完成しました。人づてにライ・クーダーに発売前のプロトタイプを託し、彼の意見を反映させて改良を重ねていきました。
'79年4月、タカミネ初のエレ・アコが海外で発売されます。既に、プロトタイプを手にステージに上がっていたライ・クーダーをはじめ、さまざまなアーティストがタカミネを持って、アメリカの音楽メディアに続々と登場していきました。
B・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウンといった名だたるアーティストがタカミネのギターを手にし、タカミネのブランド名は一気に広まりました。イーグルスのグレン・フライは、不朽の名曲「ホテル・カリフォルニア」の有名なイントロに、タカミネの12弦エレ・アコを使用。その時の録音スタジオには、数十本のタカミネのギターが並んでいたといいます。
こうして、日本から海を隔てたアメリカで、一気に「エレ・アコのタカミネ」というブランドに火が付き始めました。当初、エレ・アコという存在そのものに否定的だった日本市場においても、海外での評価が後押しする形で、数年後に販売を開始。日本でも多くのギタリストが、タカミネを使い始めました。
タカミネの歩み -現在・未来
アコースティックサウンドの原点を目指して現在そして未来へ
タカミネの独自の技術
音楽の嗜好の変化にともない、エレ・アコに求められる能力も、多様化の一途を辿っていきます。それに対応するべく、タカミネはプリアンプも次々と新製品を発表してきました。
'88年、「1ユニット・プリアンプ」を発表。プリアンプとバッテリーを1つのユニットに集積し、かつユニットのサイズを統一することで、ワンタッチでのプリアンプ交換を実現しました。
さまざまなステージや音楽に応じ、臨機応変にプリアンプを交換できるという発想は、きわめて画期的なものでした。プリアンプの1ユニット化で、修理やバッテリー交換などメンテナンス性も格段に向上しました。
'98年には、ゴトー・ガット社と共同で、2ウェイ・トラスロッドを開発。また同年世界初となるオンボード・デジタル・プリアンプ"DSP"(AD-1)を発表。リバーブやメモリー機能など、デジタルならではの機能が満載されたプリアンプは、多くのギタリストから熱烈な支持を獲得しました。
そしてDSPの登場から10年近くを経た今、タカミネが満を持して世に問うのが、真空管搭載の"TDP"(CTP-1)です。真空管をごく低い消費電力でドライブし小型化させたことにより、真空管ならではのウォームな音色をエレ・アコで表現することに成功したのです。
こうして進化を遂げてきたタカミネのテクノロジー。そして今、タカミネでは、あえてギターメーカーとしての原点に立ち帰る目標を掲げています。
それは「生音にこだわる」ということです。
アコースティック・サウンドの追求
「エレ・アコのタカミネ」というブランド力が、タカミネをここまで押し上げたのは紛れもない事実です。しかし、タカミネのギターの評価が高いのは、けっしてエレ・アコそのものではありません。アコースティック・サウンドのあくなき追求が、タカミネの評価を決定付けているのです。
アコースティック・サウンドの、一層の熟成と追求。これこそが、エレ・アコで一つのステイタスを築いたタカミネの、不変の挑戦なのです。
アコースティック、エレ・アコ、2つの音への追求。「この2つの条件を満たすギターこそが、エレ・アコの完成形」なのだと、私たちは思っています。
ギター技術を他分野に
ギターメーカーとして培ってきた技術をベースに、他社とのコラボレーションも始まりました。例えばオンキョーの高級スピーカー「D-TK10」は、月産50組の限定販売です。ソリッドのマホガニー材をキャビネット側面に使用するなど、アコースティックギターならではの技法を随所に散りばめています。「タカミネがクリエイトするサウンドで、生活を豊かにしたい」という願いが、このスピーカーには詰まっています。
タカミネはあと数年で、会社創設から50年を迎えます。クラフトマンシップの心で作り上げたギターを、音楽を愛する人々へあまねく届けたい。私たちの思いは、昔も今も変わることはありません。そして、未来もーー。